三菱重工 MH2000ヘリコプターの開発から終焉まで

はじめに

外国勢に支配されている国内のヘリコプター市場へ一石を投じるべく三菱重工は1995年、中型双発タービンヘリコプターの開発をスタートさせました。同社は自衛隊向けのヘリコプターの納入実績はあったもののライセンス方式での製造であった為、初の独自開発で行われました。機体とエンジンを1社での開発、製造は世界的にも珍しい事例であり、日本の航空産業の発展に大きな期待がされました。MHは「三菱ヘリコプター」の略で2000は西暦2000年で「21世紀に羽ばたくヘリ」という意味が込められました。しかし現実に21世紀に羽ばたけたのは数機だけで、早々に終焉を迎えた悲劇のヘリコプター、それがMH2000なのです。

 

 

開 発

開発概要

MH2000は、全長14m、最大離陸重量4500kg、標準仕様10人乗り(乗員2名、乗客8名)、双発エンジン搭載の多用途ヘリコプターを目指し、開発がスタートしました。

 

 

市場に新規参入するには一般的に4つの点で他機を凌駕する必要があります。

・機外騒音

・安全性

・乗り心地(機内騒音、振動、スペース)

・経済性(機体価格、維持費)

 

三菱重工は、これらを改善する特徴的技術を採用して次世代ヘリコプターに求められる性能をMH2000に持たせ、市場でのアドバンテージになるように開発計画を立てました。

①静かな機外騒音
メインローター回転数を2段切り替えとして、市街地等では低回転数のローノイズモードで飛行し、低騒音ロータとの組み合わせで騒音を低減。

 

②安全性
双発エンジン、GPSを用いた衝突回避装置、自動操縦装置等で安全性を向上。

 

③快適なキャビン
収音マイクで低周波のローター音を検知し、キャビン内スピーカーで逆位相音を発するアクティブノイズコントロール、機体低振動設計等により低振動、広い居住性を実現する。

 

④経済性
点検・整備効率を考慮した機器配置と信頼性の高い部品を採用し直接運航経費を削減。

 

PR1開発

1992年7月、MH2000の開発に先立ち三菱重工はPR1(ロータープロトタイプ1号)を制作します。大東亜国内航空(TDA)で使用されていたシコルスキーS-76A(JA9598)を購入し大幅な改造を加え、MH2000の開発に必要なデータの収集を行いました。

 

PR1の元となったS-76A(JA9598)

 

PR1の制作目的

・ダイナミックコンポネート(ローター、エンジン、トランスミッション)の技術

・上記コンポネートを統合する技術

・騒音、振動、安全に関わる基礎技術

・短期低コスト開発技術

 

PR1開発は上記4つの技術要件を習得する事、併せてローター回転数可変化による低騒音の実現、自動操縦装置、GPSとマップ表示機能等による衝突回避装置、アクティブ・ノイズ・コントロール技術を確認する事が開発目的とされました。

 

 

PR1機体概要

PR1はメインローター、メインローターヘッドは新規に開発。エンジン、メインギアボックスは既に試験研究された試作品を使用。燃料タンク、配管等は機体に合わせて制作され、その他の部品はほとんど既製品が活用されました。機体構造はPR1のテストヘッドとしての構造とされ、シグなし工法が用いられました。

 

試験中のPR1

 

 

エンジン

MG5エンジンはPR1開発以前の1987年に開発がスタートしていました。高圧縮比遠心圧縮機をベースに非空冷のコアエンジン、次に空冷コアエンジン、最後に出力タービン、トランスミッションを追加したターボシャフトエンジンの順に試作・試験が行われ平成2年までに850時間もの高空試験等を実施し、基本的信頼性を確立していました。

PR1にはMG5エンジンに独自開発の搭載型電子コントローラー(FADEC)を併せて搭載し、飛行試験による実用化の確認をしました。

 

 

PR1開発結果

主要部位
ローター、エンジン、トランスミッションが設計通りの性能が出ること、また、飛行試験の運用に耐えるだけの十分な性能を発揮する事が確認されました。

性能/特性
ホバリング及び前進飛行状態でデータを取得。最高速度は146kt(270km/h)を達成。ローター回転数変換時に異常もなく、実用に問題がないことが確認。操縦性に関しては社内パイロットから良好との評価を得ました。

振動/騒音/応力
一般的な中型双発タービン機クラスの振動を達成。キャビン内騒音に関しては同クラスに対して2~3dB、アクティブノイズコントロールについても使用後に3~4dBの機外騒音低減を実現。また、メインギアボックス取り付け主要部位の応力を計測した結果、設計通りの強度がある事が確認されました。

 

自動操縦装置、衝突回避装置も当初の目標を達成し、低騒音、安全で乗り心地が良く、経済性の高いヘリコプターを短期間低コストで開発できる見通しが得られ為、三菱重工は次のステージであるMH2000の開発をスタートさせます。

 

 

MH2000開発

ヘリコプター開発は通常5~7年の歳月が必要とされますが、MH2000の開発スケジュールは設計から2年以内に飛行試験を行うという非常に短期間で計画されました。

 

三菱重工はPR1で収集されたデータを元に地上実験用2機と飛行試験用2機の4機を製作しました。PR1試作機では限定した制限下での開発でしたが、MH2000では型式証明取得が目的である為、耐空審査要領の厳しい要件を全て満足すべく開発が進められました。

 

機体
胴体形状はテイルブームまで一体化した卵形で内部容量は大きく、床は平面、キャビンも広めに確保されました。また、駆動装置をキャビン上部に配置せず後方へずらして配置したことにより、低騒音・低振動を実現。また、機体素材は複合材などの高価な素材は用いずに、既存の金属構造を用いてコストカットされました。

飛行用試験機(JQ6003)

 

エンジン

1995年からはPR1の成果を反映させたMG5-100エンジンを制作し、耐久性、安全性・信頼性等を実証する各試験の結果、1997年6月、に型式が承認されました。

 

MG5-100エンジンは、世界最高の圧縮比11:1を実現した遠心圧縮機と可変入り口案内翼を組み合わせることにより出力応答性が向上されました。また、出力軸回転数をノーマルモード(100%RPM)と低速モード(90%RPM)の切り替えが出来る機能を備えています。

 

ローター関係

メインローターは複合材ブレード4枚の全関節型ローターです。PR1の原型機となったS76のメインローターの形状、バイファラ防振装置など良く似ています。

MH2000メインローター

 

S76メインローター

 

 

テールローターは10枚羽のダクテッドファン方式です。

 

このテールローターブレードがMH2000の命取りになります。

 

 

飛行試験用の試作1号機が1996年7月、初飛行。航空局の型式証明審査を受ける1997年(平成9年)6月に型式証明(輸送TB)を取得。1998年1月に機体番号JA001Mを取得しました。

 

PR1の試験期間があるとは言え元々ヘリコプターを独自開発した事がないメーカーが3年で設計から型式証明を取得を完了させた事は驚異的なスピードと言えます。

 

 

MH2000購入企業

量産1号機(JA002M、後にJA007Eと交換)は1999年10月にエクセル航空に納入され、同年11月から都内の夜間遊覧飛行などに使用されました。エクセル航空ではメイテック所有の機体(JA003M)も使用し、2機で運航を行いました。宇宙航空研究開発機構(JAXA)へも1機(愛称:MuPAL-ε)を納入されました。

エクセル航空(JA002M)

 

JAXA(JA21ME)

 

 

MH2000の悲劇

2000年11月、試作初号機(JQ6003)が三菱社員による試験飛行中、試験飛行空域付近でテールローターのブレードが飛散して操縦が困難となり、14時40分ごろ三重県鈴鹿市柳町の水田に不時着しようとして墜落しました。機長1名が死亡し5名が重傷、機体は大破したため廃棄。原因は、同機が試験飛行中にNO.10テールローターのブレード・ストラップが疲労により破断したことを発端として、10枚のブレードからなるテールローター部の主要な部分を失い、テールローターによるヨー・コントロール機能を喪失して操縦が困難となり、制御できない急激な右旋転に陥ったことによるものと推定されました。NO.10テール・ローター・ブレード・ストラップが疲労により破断したことについては、複合材製のブレードの開発に際して、限界使用時間を設定する際の荷重や温度環境の条件選定が適切でなかったため、疲労が予想よりも早く、並びに同機は試験専用機であって量産機よりも過酷な使用条件であったこと、テール・ローター・ブレードに対する点検項目の設定及び点検の間隔が適切でなかった為に疲労の進展に気付かなかった事が墜落の原因とされました。後にテールローターの設計変更、エンジン転装、機体強度の改善と言った手直しを加え、2002年10月に型式設計変更の承認を得ましたが、事故は今後の販売に致命的な打撃を与えました。保守的な航空業界には初めて独自開発された欠陥があるかもしれないヘリコプターは受け入れられず、事故以降全く売れませんでした。

 

 

不幸中の幸いか

陸上自衛隊のOH-1ヘリコプターのエンジンにはMG5-110の姉妹機であるTS1が搭載されています。TS1エンジンは2015年2月飛行中に損壊し、墜落事故を起こしています。

内部の高圧タービン・ブレードに過大な応力が発生し、当該ブレードが損傷した事が原因でした。OH1は飛行停止措置が取られ、エンジンの改修が終わるまで飛べない状態です。もしMH2000が当初の予定通りの機数を販売していたら同じ事故を起こし、莫大な改修費用が必要になっていたかもしれない事を考えると、皮肉めいた話ですが売れかったのが不幸中の幸いでした。

 

最後に

既に全機のMH2000が退役し、飛んでいる雄姿を見る事は出来ません。本邦初のの純国産ヘリコプターは失敗に終わりました。しかしながら三菱重工の創造へチャレンジ精神は非常に素晴らしい事です。手堅く失敗しないノックダウン生産や、防衛産業に依存しようとしない姿勢は企業としての力強さや技術者魂を感じます。現在注力しているMRJには是非とも世界の空で羽ばたいて欲しいと心から願っています。

 

 

参考資料

Wikipedia(MH2000)

三菱重工技報 vol.33

三菱重工技法 vol.38

 

画像出典

晴れの空

三菱ヘリコプタの半世紀

三菱重工業 Mitsubishi MH2000 (JA001M)航空フォト

flickr ae01152751

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